最初から幸せでした

  • 2017.07.21 Friday
  • 23:38

☆☆琉奈☆☆

 

最高の門出になりました。

 

友達と地元のお祭りに行ってきました。

現実を全て受け入れるってことがわかりました。

わかったときに、もう気がつきとか書く必要もないし、何もかもあるがままでいいって思えました。

最初は気がついたことがあったら書いてって言われて、書くことなんてないって思っていたけどたくさんの気がつきがあって書くことが出来ました。本当にこれだけでも感謝です。

映写機から放たれる光ってフィルムに触れた時点で全ての経験し終わっているってわかったんです。だけどスクリーンの中にいる私の方は過去になったものを今経験してるようになってるんです。そしてそこで色々、考えたり何かする。全部が自分と現実、自分と他人、自分とモノと全てを分けて、自分を自分だと信じて、何かと分けている中で幸せを探したりして、友達が増えると嬉しいとか将来、素敵な人と出会えたら嬉しいとか思ったりしてました。だけど、これは自分と何かと分けてでの幸せとか嬉しさで、もし相手の方に何かあったりしたら、その嬉しさも幸せも崩れる。だけど全て自分自身なのに私が自分と他人と分けることをしてあるがままを歪めて現実の私を同一視することを選んできました。

でも自分と他人を分けてでの幸せじゃなくて、現実空間、私ではない私の全てを映写機そのものの私の光と一体化が本当の幸せなんだって気がつきました。

最初から私は幸せでした。

本当に最初から幸せでした。

完全に一体化されていた。

本当に何もしなくていい。

嬉しくなって現実の私ではない私が涙を流してました。

涙を見た友達から急に泣いてどうしたのって言われて、嬉しさで泣けるんだって思いました。お祭りの提灯の光が輝いて見えました。

心極道NO1を知って本当に良かったです。

もしキッカケもなかったら、本当の幸せを知らないで過ごしていました。

たくさんのコメントを読んでたくさんの気がつきを貰ったこと、

心極道の仲間の皆さん、本当にありがとうございます。

 

本当のことが書かれていた。

  • 2017.07.20 Thursday
  • 20:50

☆☆琉奈☆☆

 

 

 

 

 

今日は友達と浅草に遊びに行きました。

なんか友達というより全て自分って感じがします。

他人を見て楽しいって思えるのも、その人が自分だからだってわかりました。

でも、それも映像の中に映り込んでるものであって自分なんなんだけど自分ではないっていうことがわかりました。

浅草でブラブラしてアイス最中食べました。

美味しかったー。

たまたま、図書館に書かれていることを読んでいたら、まさにこれっていう感じです。

 

『少年、少女がサッカーをして遊んでいるときに、ボールが川の土手の方へ行ってしまった。一人の人が川の土手に立って川を見ていた。少年、少女たちが来て、「その辺でサッカーボールを見ませんでしたか」人は答えました。
「全ての姿形があるものの中に何の姿形を見ないんです。私は全ての姿形があるものから姿形は見ません。私の感覚は姿形に実体を持たないのです。だからサッカーボールがどこに行ったのかという事は言えません。何が起きているのかわからないのです。私は姿形に対して実体というのを見ません。だから君たちのボールがどこへ行ったのか私に聞いても無駄だということだよ」この瞬間、少年少女たちは嫌がらせ、意地悪を言われてるかのように聞こえてサッカーボールを探しに行った。』

 

本当に今日行った浅草の画像をアップしたんですけど、歩いてると隅田川の花火大会とか書かれた看板とか、街の中にいる人たちもいました。写メって撮影した瞬間に過去になるので、その時の風景とか人の動きとかってただ流れていくだけって感じがしました。

で、図書館に書かれていたことを私なりに読んでみました。

 

浅草の風景もこの景色は浅草って決めていること、スカイツリーっていう建物はこんな形だって決めていることって普通なら姿形が見えているものって名前や名称があるし、人が動いてるとか見えるのも姿形があるからそう見える。

だけど、動いてるものや風景に姿形を見るのは現実に映り込んでいる私であって、その私というものが映写機だってわかるとスクリーンに映ってる映像は過去でそこで流れてる姿形も地名や名称も何も意味がないってわかりました。

だからこの文章で姿形があるものの中から姿形を見ないって言ってる人は映写機そのものが自分だとわかっていて決してボールを取りに来た人たちに意地悪なんかしてないってわかりました。

なんか本当に姿形なんててないと思いました。

目では姿形があるように見えるんですけど、映写機そのものが私なんだけど、スクリーンに映し出された映像、もっと言えば過去のことに対して、さも今かのように何かを感じてることや自分が肉体を動かしてるって感覚もおかしくなってきました(笑)

なんか写メを撮ってたときに過去なのにさらに過去を残そうとしてるって思えて笑えてきました(笑)

思い出も、さっきのことも今日のことも何も要らない。

で、スマホの写真とか全部消して、家にあったいろいろな写真とかプリクラも全部捨てました(笑)

今まで、どうしてこんな過去のことにしがみついて来たのか不思議でした。

 

 

 

 

女子会トーク

  • 2017.07.19 Wednesday
  • 20:22

麻里

 

女子会トークで話した質疑応答かな(笑)

内容は録音したのを文字起こしした。

 

1、麻里さんにとってスピリチュアルって何ですか?

 

スピって目に見えないものを飾って表現してるって感じがする。

その表現がわからなくなって振り回されてる人が多いような気がするものって感じ。

 

2、スピだと覚醒まで行かないんですか?

 

スピだから覚醒できるとか出来ないって関係はないけど、スピの言葉にいろいろな概念を持たせて目に見えない世界をエゴで覗こうとしてるって感じがする。

 

3、過去生はあるんですか?

 

あるとも言えないしないとも言えない。だけど過去や未来があるって思ってるのはエゴってことは言える。

霊的、神的、ハイヤーセルフとかに頼って何かをアプローチするって感じがするけど、それがスピだと思ってる人が多いと思う。

 

4、ハイヤーセルフって何だと思いますか?

 

ハイヤーセルフってすごい存在とか、自分の守護霊みたいな感じとか、守護天使みたいな感じとか、人によってハイヤーセルフはこれだよって決めてる人もいると思うけど、それは自分とハイヤーセルフって感じで自他の存在のようにしてる人が多いと思う。

私はハイヤーセルフって何かってことはわからない。

エゴは自分じゃないから、エゴを超えた存在かな。

 

5、願望って何ですか?

 

願望はエゴがいつまでも叶えたくないって思っていつまでも叶って欲しくないって状態を維持することを願望って思ってるよ。

 

6、願望が実現するって麻里さんにとってどういうことですか?

 

願望が実現するとかしないとか気にならないな(笑)

出かける時も、服を着たり、靴を履いたり、ご飯を食べたり、日常全てが願望実現してるから当たり前のように身体が動いてるだけで、既に願望が実現された世界にいるから願望が実現って言うより「願望=実現」ってしか思えない。

願望実現をエゴで知ろうとしても不可能だよ。日常全てが願望実現されているし、知覚できないくらいのスピードだから(笑)

 

7、既に願望が実現された世界にいるって?

 

これはエゴの中にいると受け入れられないし理解もできない

ここで〇〇さんが思ってる願望って特定のものだと思う。

例えば恋愛成就とか宝くじを当てるとかって感じかな。

それって「今彼氏、彼女がいない」から恋愛成就したい

「お金があれば安心できる」だから宝くじを当てるとか現実に対してこの世界は不十分なことしかないという前提がエゴが維持してる状態で、その不十分さを解消するのは恋愛成就とか宝くじってしてる感じのものを願望って呼んでるかもしれない。

 

8、スピリチュアルって未来を良くしたいからやる人もいます。

 

まず自分が描いてる未来が本当にあるのかってところを疑ってみるといいかも。

こうなって欲しい未来っていう理想があると自分の意見を後押ししてくれることを言ってくれる事とか、目に見えない力を使いこなせる人が言ってるから大丈夫だって一時的な安心感を得るだけになってるような気がする。

 

9、ハイヤーセルフと繋がるとかってあるんですか?

 

ハイヤーセルフと繋がるのは誰かがいないと繋がらないですよね。

でもその繋がる誰かって誰のことかわかると、ハイヤーセルフと繋がるとこうなるとか言ってる誰かさんが作り出した幻想だってわかるかもしれない(笑)

 

10、麻里さんはスピが嫌いなんですか?

 

好きとか嫌いじゃなくて、スピの言葉にいろいろ概念をくっつけて訳がわからないことになってる感じがするだけ。スピをエゴが理解したこうなるんだろうなって見せてくれてる感じ。スピが間違ってるとかじゃなくて、スピの言葉に踊らされてる人が多いって感じかな。エゴのことを知ってる人は踊らされないかもしれないけど、エゴと同化してるとスピは新鮮さとか与えてくれるかもしれないね。

 

11、麻里さんは恋愛しないんですか?

 

恋愛には興味ないかな(笑)

 

12、どうしていつも楽しそうなんですか?

 

何でも楽しく感じちゃう。

 

13、麻里さんには悩みとかなさそうで羨ましいです

 

悩みとか不安もないなー

 

14、麻里さんにとっての真実ってなんですか?

 

真実って言うより、人ってなんらかのグループに属していて、例えば学生なら学生というグループ、社会人なら社会人のグループって感じで、その中でアイデンティティを持っていて自分たちの意見や主張を維持するために争っていて、そして自分が属しているグループから他のグループにどんな意見を言ってもお互い見解が違うのにいつまでも主張しあって議論をしてる考えを持ってさらにその考えを深めていくことが最大の能力だと定義してるのが人間って感じがする。だけど人って概念が消えたとき残るのはなんだろう?私は「人」であるという信念を持ち続けている間は私の言う真実には到達できない。だけど、多くの人は真実に行こうとすると言い訳が始まって真実には行かない。根本に私は「人」であるという信念が消えたらどうなるかわからないって言う恐れがあるから。やっぱり今度はこの意見がいいのかなと他の意見と比較して「人」という信念を持ち付けたあなたにとって都合のいい解釈をする人の意見を聞きにいろんなところに回るようになる。それは棒高跳びのハードルを飛び越えるようなものです。棒高跳びのハードルって「エゴ」のことなんだけど、このエゴは「人」であるかのようなことを言ったり、守ったりしてくる。あなたが「人」であるように引き止める。だけど私にとっての真実は「ただ在る」という在り方。これは空想とかスピリチュアルのようなことじゃない。現実から逃げるための方法や手段でもない。今までの考えではないってこと。だからこの真実は体感しないとわからない。恐れを持っていてもいいから、恐れや苦しみに飽きてるのならいずれわかる真実だと思う。

私の真実って「ただ在る」という在り方かな。

 

15、なんか深い話を聞けてよかったです。スピとかの域を超える感じがしました。

 

ありがとうねー

 

 

中学で「将来の夢」についての作文で却下になったもの  将来の夢より今にいるよ

  • 2017.07.19 Wednesday
  • 00:14
心極道ではこの「将来の夢」を採用します‼
琉奈さん、真剣に今にいることを教えてくれてありがとう‼
☆琉奈さん☆   
         
どうして将来というまだ来てもいない未来に向かっていこうとするの?
まだ来てもいない未来は「今この瞬間」より大事なの?
「今この瞬間」よりも将来の方が大事なの?
今この瞬間を早く終わらせて将来へ目を向けるって誰が決めたの?
両親、学校の先生、大人達?
いつの間にか私たちは「今この瞬間」を忘れて未来に向かうように教わってきたけど、本当は「将来の夢」なんかよりもっと、もっと大事なのは今この瞬間。
どうして目の前の現実よりも未来の方が大事なの?
私は「将来の夢」なんてない!「希望も」「期待も」「私の人生」そして「私自身」も何もない。他には興味もない。だから「将来の夢」なんてテーマでは作文は書けない。
私にあるのは「今この瞬間」だけ本当にこれだけ。だから未来に向かうってこともしない。
私たちの世代はみんな輝いてる。だから未来に輝こうとしないで今に輝こうよ。どうして遠くにある星を見て綺麗だなって思って自分自身の輝きを忘れちゃってるの?みんな本当に輝いてる。星が輝いてるんじゃないんだよ。みんななんだよ。たとえ将来が不安でも、これからも変わらないって思ったっていいんだよ。こんなんじゃなかったって悔しくて泣いたっていいんだよ。失敗したり今どんなことをしていてもいい、みんな本当に輝いてる。だから未来なんて向くことをやめて「今この瞬間」だけにいようよ。親や学校の先生、大人は今なんかよりも未来のことを言うけど、そんな声なんてもうどうでも良いんだよ。私たちは学校や親の前でお利口さんを演じていつも顔色とか見てきたかもしれない。でももうそれは終わりにしようよ!
私たちは何か目的を達成したりするためにいるんじゃない。何かを克服したり、何かを得たりするためにここに存在してるんじゃない。もともと輝いてるだけ、だから永遠という今にいようよ!
大人達の意見は正しいように聞こえたりときには怖く感じちゃうときもある。でも、私たちより先にそんな大人の人達の声や意見に対して違うと言ってくれる人達がいるんだよ。
今までの大人のルールを壊してくれて、本当に今にいる大切さを知ってる。その人達だって最初はみんなと同じだったんだよ。大人の意見に対し正しいように聞こえたり怖くなったりしてたんだよ。だけど一つだけ違うのは、今この瞬間にしかいないんだよ。
大人や現実が怖く見えても、たとえ大勢の大人が、それは違う未来へ向けと言っても私たちは今この瞬間にいることを何よりも大事に過ごしていくときかもしれない。
大人の意見や考えは現実に対しての事しかないんだよ。不安や恐れに意味を見出してそれに苦しむような未来のことしか言わない。そんな大人にはもうついて行かない。私たちは今この瞬間にいる。大人の人がこれを読んだら「小娘が何を言ってる」って思うかもしれない。でも私には「人生、希望、夢、私自身」もない。たとえ大人から、人からどう思われてもいい。でも私は「ただ存在してる」だけなんだ。恐れや不安にもう意味づけはしない。恐れや不安は意味をなさないってことはもう知ってる。だから全て委ねて今この瞬間に真剣にいる。私たちよりも先に今この瞬間の大切さに気がついてくれた人が大人達の考えを破壊してくれた。私たちは、そんなすごい人達の後をついていけるんだよ。今この瞬間を大切に過ごすといつか真実を教えてくれる人が絶対に来るから、恐れや不安に意味を持たせている大人よりも恐れや不安は意味をなさないっていう仲間が現れてくる。
同じ世代に生まれてきたみんな、恐れや不安を抱いて未来にしかいない大人達に対して一人一人「今この瞬間」という大きな大きな旗を掲げようよ。どんなに大勢の大人が未来を向いて未来のことを言う旗を掲げて向かってきても私たちは「今この瞬間」の旗を下ろさない。だからみんな旗を掲げろ、堂々と旗を掲げよう、ちっぽけな旗でもいい、そのちっぽけな旗を見て大人達が大きな旗を掲げて「未来へ」って向かってきても私たちのこのちっぽけな旗は永遠なんだよ。そこにはもう恐れや不安なんて意味をなさない。だから「未来へ」と大きな旗を掲げてくる大人は不安や恐怖に駆られて消えていく。だから、今からでもいいから、どんなにちっぽけでもいい「今この瞬間」にいようよ。本当にちっぽけな一歩かもしれない、でもこのちっぽけな一歩は凄く、凄く大きな一歩だよ。私たちはみんな輝いてる。その輝きは誰にも消す権利なんてない。誰にも消せない!
大人という立場を使って輝きを消すことをさせないで下さい。どうして将来とか未来を押し付けるんですか?私たちは今この瞬間にしかいないんです。同じ世代に生まれてきたみんな、今に輝こうよ!
いつかみんなの前にも戦士がくる!絶対に来るから!
だから、どんなにちっぽけな旗でもいい掲げようよ!
今この瞬間にいる存在こそ戦士なんだよ!だから、理屈や知識、考えや他人と比べたりするするつまらない大人は先生のふりをして知識として教えてくれるかもしれない。だけどそんな大人は今この瞬間にいることはしてないし恐れや不安に意味を持たせてるからすぐに新しい知識を求める。本当の戦士は恐れや不安は意味をなしてない。みんなに同じような真実を教えてくれる。だから、今はどんなにちっぽけな旗でもいい。そのちっぽけな旗でも立派な戦士なんだよ。将来なんてどうでもいい!私は真剣に今この瞬間にいる。
たとえ大勢の大人に酷いことを言われても、それがどんなに辛く感じても今にいます。
私は今この瞬間だけにいる。酷いとか辛いって決めてるのは心が勝手に決めてるだけ。
私はそんな声に同意しない。ただ今この瞬間にいるだけ。
私たちの世代は多く戦士が先に道を切り開いてくれた。
切り開いてくれた道を私は進んでいきます。
多くの戦士さん達へ。
私たちの世代よりも辛いことや悲しいことをいっぱい経験して、人生を終わらせてしまいたいと思ったときも、それでも諦めないで道を切り開いてくれて本当にありがとうございます。本当に大きな大きな愛だと思います。たくさんの愛をありがとう。
私は本当に本当に戦士さん達が大好きです。
そして、この地球に同じ時代に生まれてきてくれてありがとう。
私は多くの戦士さんがいてくれたから今この瞬間にいる大切さ、そして真実を知ることができました。今まで誰一人として「お前は偉大な存在だ、無限だ、愛そのものだ」なんて言ってくれなかった。そして自分を嫌いになって嫌で嫌で嫌だった私を導いてくれた。
本当にありがとう。
愛しています。

久しぶりの再会

  • 2017.07.18 Tuesday
  • 23:50
☆道子さん☆
仲の良い友達と久しぶりに会いました。
以前は、気さくに何でも話せたのに、いつの頃か話せなくなった私がいました。
話したくてもなぜか抵抗があるのです。
なぜ?
どうして?
思考では分かっているのに「情」が邪魔していると気づきました。
ならばと、これに特化したわけではありません。
日々の気づきから「情」と言う執着も手放すことがいつの間にかできていたと感じるのです。
なぜならは、久しぶりに会った時無抵抗に話している私に気づきました。
目の前の友達は私自身であり、全て私の創った世界は幻想でした。
知らないうちに変化している感じです(笑)
ただ、スクリーンを見ていたらいつの間にか変わってたって感じでしょうか…

手帳を持たない私

  • 2017.07.18 Tuesday
  • 23:48
☆道子さん☆
最近、手帳を持たない私がいます。
私は仕事で20年以上、手帳は命でした(笑)
手帳にはスケジュールがぎっしりと書き込まれ、スケジュール通りに動いていました。
常に手帳を見ては思考して行動を決める毎日でした。
休日も出かける時は手帳をバックに入れ、暇さえあれば手帳を見て思考していました。
手帳を持っていないと心細く、予定が入っていないと不安で空白があると予定を入れ
忙しく時間で動いていました。
そのような毎日に頑張って仕事をしている、生きているという充実感や安心感がありました。
心極道を知った一年前や数ヶ月前には、思いもしなかった手帳を持たない私が今います。
最近は、手帳を見て思考することも無く、時間を気にする必要もありません。
仕事も殆どしていない状態ですが不安はありません。
そして、思考も行動も時間も全ては自分の創った、思い込みや幻想と感じています。
これからも気づき手放すことをしていきます。
心極道、ありがとうございます(´∀`)

思いのままに

  • 2017.07.18 Tuesday
  • 22:36

⭐⭐和葉⭐⭐

 

灯台下暗しって意味を調べてみたら、

人は身近なことには案外気がつかないものだというたとえで使われていました。

私も本当に灯台下暗しでした。

灯台って遠くに光を当てて光が当たったところがよく見える。

その光が当たったところに現実の風景があって、人がいて、

その人たちが「あなたは女よ」「あなたはこんな人よ」

そして、そこにいる人たちも同じように学校に行ったり会社に行ったりして同じような考えを持っていて、その人たちと違うことをするのは浮いた感じになるから、

自分も周りの人と同じ考えや、周りの人が「あなたはこんな人」っていつの間にか決められた自分になっていました。

灯台下暗しって本当に足下が暗くて見えないから、周りが言うことが本当のことだと思って、その暗闇は自分ではどうなってるからわからないから現実の自分は周りと同じだって思って過ごしてました。

本当に灯台下暗しだと思います。

今まで、灯台は目の前に大きく存在していたのに気がつきませんでした。

それだけ足下の暗闇に何があるのかわからないのに、それを他人を通してこういう人間だよって言われたことを信じてきたんですね。

見えない暗闇は信じれて、大きく存在している灯台を信じられない状態でした。

現実にいる私は見えない暗闇の外からいろいろなことを言われてできた自己像で、実際に暗闇に中に入ってみたら暗闇の中には何もないって感じでした。

暗闇に入らないで暗闇の中のことについて討論してるのは理性なんだってわかりました。

暗闇に入って初めて真実を知るのかもしれないですね。

世の中ですごい成功をして喜びの人生でも、本当の真実を知ることなく世に中を去っていくのは、最初から持っていた何にも変えられない素敵な花の種が芽を出さないで、本当の自分の真の喜びを掴みそこねて本当の安らぎも美しさも知らないまま、理性の消えない恐れを持ちながら成功のために何かと競争したり比較して勝った喜び優越感で物足りない喜びを満たしてるような感じがします。

私は灯台の下の暗闇に入って良かったって言えます。

もし暗闇に入ることをしなかったら、何にも変えられない素敵な花の種は芽を出さないままだったかもしれません。

心極道ってどうやって開発したのか知りたいなって思いました。

今までだったら、こんなこと知らなかったし、気がつくことはなかったと思います。

 

今まで教わってきた知識も必要なくなりました!

  • 2017.07.18 Tuesday
  • 13:37

 

☆☆琉奈☆☆

 

学校にいても友達と話したりするけど、友達って感覚もほとんど感じない(笑)

話しを聞いていても、これはどんな意味だろうって理解することもほとんどない(笑)

本当に楽しいだけって感じがします。

映写機そのものが自分自身だってわかると楽しさしかないのかもって思えます(笑)

現実で何が起きていても楽しいだけ。

嫌なこともなぜか愛おしいって感じがします(笑)

 

今までAという世界の中に私がいると思っていました。

その世界にいるとAさんはこんな人、Bさんはこんな人って決めていました。

でも映写機があるBっていう世界にはAさんはこんな人、Bさんはこんな人って分けることもないし

ただ光を放っているだけ。

Aという世界は風景も人も絵で言うと綺麗に描かれていてカラーで見える。

私は今まで現実の世界でこんな形をしてるのが人で、こんな形をしてるのが家だと認識してきました。

だけど美術のときに絵を描いたことを思い出したら、絵はまず下書きして色を塗って完成させる。

それって他人が見てこの絵はこれだねって納得してるだけで、

自分は下書きだけで、もっと言えばこの絵を描いて見ようって思った時点で終わりでいいと思いました。

現実を認識してる方は完成した絵を見たがるけど、本当は現実なんて下書きだけで完成まで見る必要もないって思いました。

 

Aという世界はカラーで完成された絵が見えるけど、それも元をたどれば下書きがあるし、

もっと戻るとこんな絵を描いてみようっていう始まりがありました。

でも映写機があるBの世界からAの完成した絵のように見える現実をわざわざ見る必要も認識する必要もないし、

Aの世界からこんな絵を描いて見ようって思う必要もないしって感じです。

現実にどんな絵が描かれていても、映写機はただそれを映し出しただけで、

これは何の絵だろうって考える必要もないって思いました。

 

こんな感じで今まででは思いつかないような考えが出て来ました。

そしたら、今まで、心極道で教わった内容も必要なくなりました。

そして現実で何かを学んだりする必要もないってわかりました。

もう現実を見る必要も認識する必要もないってわかりました。

今まで教わってきた知識を覚えていないと映写機そのものになれないっていうのは

現実の方で、そんな知識も何も必要なく、ただ映写機そのものが自分だってわかりました。

なんか不思議なんですけど、今までAっていう世界しか知らなかったけど

やっているうちにAの世界からBの世界を見て、そしてB世界が自分自身だってわかった時から

Aの現実世界に対して興味がなくなりました。何も執着する必要もないし

現実をわざわざ見るようなことをする必要もなくなってきました。

 

知識は一時的な助けになるかもしれないけど、最後には教わった知識も必要ないんだってわかりました。

心極道は何を教わったのか、一気に忘れちゃった感じがします(笑)

 

本当の意味で何もしないこと。

自分は無力で何の価値もないこともわかりました。

 

 

何もかも完璧しかない!

  • 2017.07.17 Monday
  • 22:20

☆☆☆琉奈☆☆☆

 

今日は連投します!

自分自身が映写機だってわかったんです。

見えてる現実って寸分の狂いもなく何もかも映し出されているし、

それって判断しなくても「ただ完璧」なんじゃないかなって思いました!

完璧ってことはやっぱり私自身が映写機そのものなんだって確信できました!

映写機から見れば、ただフィルムをスクリーンに映し出してるだけ、

そのフィルムに対して何か注文したりすることもない、ただ映し出してる。

その映像に対して変えるようなことをしたりすることもないって思ったら

何もかも完璧でしかないってなりました。

それに本当の意味で生まれてもいないし死なないってことがわかりました!

生まれて死ぬのは肉体の方で私はどこにもいかないし消えない。

これも映写機から見ると、肉体が消えるのは映写機が映し出すフィルムが次の瞬間になくなっただけのことで、

映写機そのものの光は途切れることはありません。

そこに映し出すフィルムがないってだけのことなんだって感じで本当に楽にった(笑)

なのでこの世に生まれてきてもいないので死ぬことはありません。

本当に単純な気がつきがこんなに腑に落ちるとは思いませんでした(笑)

どうして色々なことに対して苦しんだり悩んだりしていたのか不思議になっていく感じです。

現実に何が映し出されていても全て完璧でしかないんですね。

これがこうだから完璧とかの完璧じゃなくて「ただ完璧」って感じです。

世界は自分であってただ完璧って感じです。

だけど現実には何の意味もないし、映し出されている目の前の映像はただ過去を見てるだけ。

だけどそんな目の前の映像を見る必要もないってことがわかりました。

目の前の映像を直視するってことは映写機から見ると写し終わったものなので何の意味もないし

大事なのは今この瞬間に在るだけ、それが映写機そのものって感じです。

現実の見方が一気に変わった感じがします(笑)

今まで、どのように現実が見えていたのか分からなくなりました。

ただ言えるのは「世界は自分でただ完璧」だったってことです。

 

 

映写機そのものが私でした

  • 2017.07.17 Monday
  • 20:40

 

☆☆☆琉奈☆☆☆

 

現実のことを見て頭の中でこんなことだなって思ったりしてたけど、

今日、変化していたことに気がつきました!

今までは頭の中のことには同意しないって決めていたんですけど、

気がついたら同意しないっていうか、同意できなくなっていました!

本当に頭の中で言葉が流れていくだけで、そこには何の意味もないしって感じで

他人事のようになっていました。

そして現実に対しても同意しないって決めていたんですけど、

現実っていう意味が消えました!

頭の中のこと現実が消えた感じがします!

今は頭の中でどんなに騒いでいても他人事になってる感じです。

そして不思議なんですけど、現実という意味が消えた途端、

今までどうやって過ごしてきたのか忘れてしまいました!

 

残ったのは、どうして意味もないものに対して同一視していたんだろうっ笑えました。

本当に頭の中のことにも感情に対してもそれを選んで現実を見たりすることもなくなって、

現実を見るっていう興味もなくなりました。

何か出来事が起きてるように見えていたことも本当は何も起きてなかったっていうことに気がつきました!

現実でこれが良いとかこれが悪いっていう意味もわからなくなっていました。

 

映画は映写機からスクリーンに映し出されて、それを見るけど、

もう映写機からスクリーンに映し出されただけで、あとは観客として映し出された映像を見るとかもしなくていいってわかりました!

 

最初の頃に映画の例えで言われていたことってこのことだってわかりました!

映し出された映像の中に入ってわざわざ役者にならなくていいよって言ってくれてたんですけど、本当にそうだよって感じです。

 

肉眼で見える現実って映写機から見れば過去で、次の場面を映し出しているのにわざわざ目の前の現実に意味を付けなくていいし、そこにとどまる必要もないって感じがします。

だから、現実での肉体の反応は過去に対して反応してるだけで、そこには何の意味もないってことかもしれないです。

本当に映写機そのものが私で、そこにどんなフィルムが入ってどんな映像が流れていても関係がないって感じです。

今、こうして文を書いてるんですけど、それすら過去のもので今ではないってはっきりわかります。

「私」って感覚が消えて、思い上がってくるモノに対して裁かなくなって、そしたら現実や頭の中のことって意味がなくなりました。

今まで自分の世界を見ていただけなのに、どうしてわからなかったのか不思議です。

映写機そのものが私ってことは、この世界って私しかいないって感じです。

そして外に映ってる私は何の意味もないって感じです。

この世界って自分が世界そのものって感じです。

ただそとの景色は色々見えるから、今までわかりませんでした。

これに気がついたあとに彼氏に電話をして

彼氏と別れる時も全然、平気でした(笑)

私自身と会話をしてるので、そこに気不味いとかもありませんでした。

今までたくさんの書き込みを読んできました。

本当にその通りってわかります。

腑に落ちるっていうか認識が変わったっていうか体感したのかわからないですけど、

不思議です。

どうして最初から全てあるのに、何かを欲しがったり、こうなりたいって思っていたことが不思議です。

全部あるがままでいいし、そこに何かの意味を求めることもないし、わざわざ外で起きてる状況をみて

これはこんなことだって決め付ける必要もないしって感じです。

現実は何も起きない!だって私自身が映写機なんですから(笑)

初心でいろ!真剣にやれ!

他人は助けない!自分だけを救う!

本当にそうだと思う!

すごい気がつきをありがとう〜です。