繰り返されるゲーム

  • 2017.09.14 Thursday
  • 22:17

✨Luna✨

 

【繰り返されるゲームに終止符を打つ】

 

ぼくはこの世界の選択は2つしかないと思っている。

1つ目は幻想の中で幸せになりたいと物乞いをするのか、

2つ目はこの幻想世界を放棄してしまうかだけなんだ。

ぼくはみんなに最初は「やりたいことだけをやればいい」って言うんだ。

「望みを叶えな」なんて言わないんだ。

ぼくは「望みなんてここにないんだ」心底気がついたんだ。

願いが叶ったところでどうなんだろうって思ったらなんの意味もないってわかったんだ。

実際に旅行も行く前は楽しさを見るけど、実際に行くと「あれ、こんなんだった」ってあっけなく感じることがあると思う。

全て条件付けで見ていた願いであって儚いって心底わかったんだ。

願いが叶った人生が70歳とか80歳とか90歳で終わるだけなんだ。

だけどわからないと肉体が消えるときにまた繰り返し人間ゲームをするんだ。

真実に向かっていくと現実に興味が消えて行くんだ。

そして本当の自分の望みはなんのかがわかる。

この2つの二者択一は現実という幻想にリアルを与え続けるのか、現実を放棄するかってだけなんだ。

明日、明後日、何日後にこの決断を決めるなんてやってると輪廻転生が繰り返されるのと同じなんだ。

明日も継続して分離を選んでるのも輪廻転生なんだ。

生まれ変わるか、生まれ変わらないのか2つに1つなんだ。

この世界は自我の投影を見ているだけであってなんの違いもないんだ。

嫌な奴もいる、良い奴もいるように見えるけど全て同じなんだ。

大小を見たり違いを見るているようだけ、そんなことはないんだ。

所詮は自我がどんなに分離を見せていても本当の自分にはなんの影響もないってわかったんだ。

自我はこの幻影をコントロール、支配、神に成り代わりたいって言う願望を持っているけど心底、自分の無力さを知るとこの世界では何も起きてもいなかったし本当の自分にはなんの影響を与えることができなかった儚い夢だったんだ。

いつまでも自分を自我の分離した幻影の中に閉じ込めて分離の想念に囚われて多種多様な幻想世界に入っているだけなんだ。

この世界を放棄するとハワイに旅行するのも自分の部屋の中にいるのも同じなんだ。

わざわざ分離の視点になることもない。いや肉眼で見るってそれをそうだと認識することがないのだ。

無意識のうちに出てくる言葉や思考は自分自身にとっていかにも正論を言っているかのように思っているから多くの人は決断するというスタートラインすら立てずに終わって繰り返しまたゲームをやるんだ。

 

自我は外に世界に意識を向けて外を見るけど、

外に世界に100パーセント意識を向けて過ごしてきました。

本当に全ての意識が外を向いていました。

そこには例外なく内側にはちょっとも意識を向けたことがありませんでした。

だけど今までは「例外なく」全ての意識は外を向いていました。

しかも何の苦労も努力もしませんでした。

それと同じくらい何の努力も苦労もなく全意識を内側に向けるって感じがしました。

現実の放棄って、もう外側には例外なく意識が向かなくなることだと思いました。

 

この世界で一番簡単なことは

現実の放棄だと言われました。

それはまばたきをする以上に簡単なことだそうです。

今まで自我と一体化して外を向いていた。

自我と一体化するのもまばたきをする以上に簡単に、しかも当たり前になりすぎてどうかしてることすら気がつかないくらい簡単にしていた。

これと同じで現実の放棄も簡単だよ。

例外さえ持ち込まなければって忠告されましたけど。

 

私は本当の愛と光に溢れていることを経験しました。

その経験を通して今までの私ではなくなりました。

まだ迷いや現実にリアルを見てしまったりしてしまいます。

それでも愛と光に溢れている、しかもそれが本性だということもわかってる。

迷いや現実にリアルを与えるようなことが終わるまで見続けます。

見るものと見られるものが消えていくことが現実の放棄になっていくような気がしました。

現実の放棄によって、そこには愛と光による行為だけになると思います。

その頃には自我と同化して外を見ることはない。

もう私は自我と同化して現実を見ることはしません。

今までの例外なく内側には一切目を向けないで外を見ることをしました。

外の世界は例外なく全て放棄します。

 

 

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