真実との対話

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 22:23

✨Luna ✨

 

 

【真実は何も主張しない】

 

「これが真実だ」「あれが真実だ」という考えは

全て始まりと終わりがある。

現れては消えゆく有限のものなんだ。

そんな有限という限りがあるものの中には真実はない。

もしこの有限の中で探求をしているのなら全て無駄になるだけなんだ。

真実が現れる前に、

現れては消えゆくものに心奪われている間は真実は現れることはない。

現実というのは鏡のようなものなんだ。

内面を全て映し出しているだけなんだ。

怒ってる顔をしていれば怒ってる顔が映る。

今まで怒っていた顔が映っていたのに突然、笑顔になってみたら笑顔の顔が映る。

当たり前のことなんだけど、鏡の中に映る映像が変わることを奇跡とかって言っているだけなんだ。

世に中にたくさんある成功法則と呼ばれるのは、鏡の中に映る映像を変えて喜ぼうって感じのものが多い。

もし鏡の中に映る映像が変わって喜んでいることや悲しんでいることも所詮は鏡に映った幻影でしかないってことを忘れてしまうといつの日か鏡に魅了されてしまうだけなんだ。

もっと言えばこの現実という世界は全て条件付けで成り立っているんだ。

条件付けに魅了されるのは自我なんだ。条件付けの幸せを求め依存する幸せを求める。

何かに条件付けや依存する幸せは幸せでもないんだよ。

本当に初心を忘れてしまうと鏡に魅了されて頭で知り得た知識へと下げてしまい、

あたかも自分の所有物にして、自我を満足させ、他者よりも優れてるという比較の道具にしてしまう。

真剣に、真剣に、真剣に初心でいることとは、

自我をありのままに見つめ、認めることで、謙虚さや誠実さを生み、現実という鏡に魅了されることなく自我と同化しない正しい気づきになり現実の放棄になっていく。

真の自由とは束縛があるんだ。正しい気がつきというね。

もし現実の放棄に対して躊躇いや疑問が出るのなら、それは鏡に魅了されているか、現実に対してリアルがあると思っている誰かが主張していることなのだ。

現れては消えゆくだけのものの中の自分が姿形が消えることを恐れているだけのことなんだ。

そもそも自我が見る姿形はありもしないものに名前や形を与えているだけなんだ。

この世界に依存しない。現れては消えることに影響されない。

何であれ自我によって考え出されるものは全て幻影でしかないのだ。

 

かなり前に現実は頭の中のことを見てるってわかったときに本当に自分で勝手に解釈してるだけだって気がつきました。

だけど今も現実に自分がいて他人がいるって感じます。

この話を聞いていたら本当に全てを捨てることなんだってわかりました。

「やりたいと思ってること」

「好きだと思ってること」

「大切な人、大事にしてるもの」

「愛や恋」そして「自分そのもの」です。

本当に無執着状態で偽りを偽りとして見る真っ直ぐな姿勢。

それが真剣さに加え謙虚さ誠実さになって、

無意識に沈んでいた偽りが意識に上がってきて解放へと導かれ

真実が現れて来るんだと思いました。

 

今行ってる学校の全校生徒の前でこんな話をしても、

ほとんどの人は明日のことや、この後の用事とか先の考えを大事にすると思う。

自分も世界も存在していないってことを認め受け入れるってこと。

ここまで来ると本当にわずかな人しかついていくことができないと思った。

経験を通して、たくさんの本当にたくさんの自分の無力さを見てきたことや、

絶望、失望、悲しみ、苦しみという辛い経験を通して、

苦しみに飽きたときに決断できることなのかなって思った。

こだわりや考えて言うのは苦しみに飽きてないからいつまでも持っていることで、

自分の主張や意見を持って大人は言うけど、そのプライドというものは苦しみの元で、

苦しみしか生まないものなんだって気がつきました。

私は大人の教えは苦しみが根底にあるっていうことがわかりました。

もう私は後戻りしません。

誰がなんて言おうが関係がありません。

すでに全て放棄しています。

 

 

 

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