真相への対話

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 20:00

✨Luna✨

 

話を聞いているうちに質問とかしていました。

そして質問を通して深まっていく感じがしました。

 

【質問】

普段の生活の中で現実の放棄はどのようになっていくの?

 

回答

日常とは欲望と恐れの間を行ったり来たりしているだけのことだ。

それを生活と言っているだけのことで、生活なんてないんだよ。

なんらかの不足を補うというのが前提にあるから、

常に不足を見ては補うことを繰り返しをしてる。

しかも不足は根底には恐れがあるから、

それを見ないように追いやるように生活をしてる。

多くの人は、そんなことをしてるとも気がつかないで長い間を過ごしていく。

だけど、本当に気がつきであるのなら、

自分が実態も無いものに名前や姿形を与え認識をしていることに気がつく。

あらゆる行為と思われているものは利己的であって、

分離や不足から生じてる。

その利己的な動機が消え去るまで見届けることなんだ。

真実とは探すことをやめることなんだよ。

真実から見出して来るものなんだよ。

一般的には真実は探すものだって解釈されてるかもしれないけど、

この現実には真実なんてないんだよ。

どこを探しても真実に辿り着くことはないだろうね。

最後のところは何を言ってるのかわからないかもしれない。

いつか、そういうことだったのねってわかる日が来るよ。

そのときに心極道って名前にした真の意味が顔を出すよ。

 

 

 

現実はどんな認識になってもいい。

現実でどんなことが起きてもいい。

私は自我と同一化して絶対に現実に振り向かない。

この前、15歳の誕生日を迎えました。

だけどそんなことも意味がない。

今ここで何が起きてもいい

現実は自我が見てるだけであって、

本当の自分は分離した光景なんて見ていないってことがわかったんです。

私はこれで最後にするって決めました。

もう自我と一緒になって現実を見ることはない。

自分探しなんて終わりにします。

そしてこの世界に与えて来たリアルを全て放棄します。

本当に今回で最後にします。

 

 

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