本当のことが書かれていた。

  • 2017.07.20 Thursday
  • 20:50

☆☆琉奈☆☆

 

 

 

 

 

今日は友達と浅草に遊びに行きました。

なんか友達というより全て自分って感じがします。

他人を見て楽しいって思えるのも、その人が自分だからだってわかりました。

でも、それも映像の中に映り込んでるものであって自分なんなんだけど自分ではないっていうことがわかりました。

浅草でブラブラしてアイス最中食べました。

美味しかったー。

たまたま、図書館に書かれていることを読んでいたら、まさにこれっていう感じです。

 

『少年、少女がサッカーをして遊んでいるときに、ボールが川の土手の方へ行ってしまった。一人の人が川の土手に立って川を見ていた。少年、少女たちが来て、「その辺でサッカーボールを見ませんでしたか」人は答えました。
「全ての姿形があるものの中に何の姿形を見ないんです。私は全ての姿形があるものから姿形は見ません。私の感覚は姿形に実体を持たないのです。だからサッカーボールがどこに行ったのかという事は言えません。何が起きているのかわからないのです。私は姿形に対して実体というのを見ません。だから君たちのボールがどこへ行ったのか私に聞いても無駄だということだよ」この瞬間、少年少女たちは嫌がらせ、意地悪を言われてるかのように聞こえてサッカーボールを探しに行った。』

 

本当に今日行った浅草の画像をアップしたんですけど、歩いてると隅田川の花火大会とか書かれた看板とか、街の中にいる人たちもいました。写メって撮影した瞬間に過去になるので、その時の風景とか人の動きとかってただ流れていくだけって感じがしました。

で、図書館に書かれていたことを私なりに読んでみました。

 

浅草の風景もこの景色は浅草って決めていること、スカイツリーっていう建物はこんな形だって決めていることって普通なら姿形が見えているものって名前や名称があるし、人が動いてるとか見えるのも姿形があるからそう見える。

だけど、動いてるものや風景に姿形を見るのは現実に映り込んでいる私であって、その私というものが映写機だってわかるとスクリーンに映ってる映像は過去でそこで流れてる姿形も地名や名称も何も意味がないってわかりました。

だからこの文章で姿形があるものの中から姿形を見ないって言ってる人は映写機そのものが自分だとわかっていて決してボールを取りに来た人たちに意地悪なんかしてないってわかりました。

なんか本当に姿形なんててないと思いました。

目では姿形があるように見えるんですけど、映写機そのものが私なんだけど、スクリーンに映し出された映像、もっと言えば過去のことに対して、さも今かのように何かを感じてることや自分が肉体を動かしてるって感覚もおかしくなってきました(笑)

なんか写メを撮ってたときに過去なのにさらに過去を残そうとしてるって思えて笑えてきました(笑)

思い出も、さっきのことも今日のことも何も要らない。

で、スマホの写真とか全部消して、家にあったいろいろな写真とかプリクラも全部捨てました(笑)

今まで、どうしてこんな過去のことにしがみついて来たのか不思議でした。

 

 

 

 

コメント
コメントする








    

selected entries

archives

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM