旅を終えて

  • 2017.09.18 Monday
  • 11:37

✨✨✨Luna✨✨✨

 

現実の放棄は妥協なしに選ぶだけ

 

「あの夕陽は素晴らしい」

「あの海は綺麗」

「ドブの水は汚い」

「あの人はムカつく」

あらゆる違いを必死に見ようとしてるけど、

世界の外から見ると同じ1つのもの。

だけど、ここだけが素晴らしい、ここが素晴らしくないなんてない。

いいとこ取りなんてない。

この幻想世界を見続けるか、今回でこの幻想世界に別れを告げるかだけです。

今までは全て自我の見方をしていただけで、

自我のまやかしを見抜けるってことは、分離なんてしてない。

この分離世界では何も起きてないってわかりました。

本当の自分にはなんの影響も与えることができなかった。

自我主導でのことは全て儚いし狂ってるだけだったんです。

私は見る目がないから

外に対して人に対して出来事に対して意味や価値や真実を見出す権利なんてないのだ。

私は何も出来ないから

現実で行為者になる権利もないのだ。

私は何も知らないから

物事を判断する教える権利なんてない。

私は全て間違えるから

世界に対して思考や妄想や感情、状況に対する実況中継を当てはめる権利もない。

しかもそんな私には世界を解釈する権利も何かを判断して決断する権利もないのだ。

しかも私が一人で頭の中の知識で判断、決断すると分離や苦しみが混じってしまうのだ。

そんな私はプライドを持つ権利なんてないんだ。

毎瞬、積極的に自主的に自我を信じて同化を選んできたのだ。

もう私の解釈はなんの意味もないのだ。

自分が分離を決断したのに関わらず被害者になって怒りや憎しみ苦しみに対して怒りを向けてきたのだ。全ては外側に責任転嫁をしてきたんだ。

そんな私は他人を助ける権利なんてない。

原因が外にあると勘違いしている時点で狂っている。

しかも内面の原因となってることすら全てが狂ってるんです。

ここまで自虐的なことを書いてるけど、

正直ホッとしてます。

こんな自分を下げ荒むようなことを書いてるけど、

それを咎めようとも思えません。

むしろ当然だよって思えるんです。

だけど私は狂ってることに同化して現実に意味づけをしてきました。

本当に儚い夢見の中で苦しみを見てきました。

本当に一切の妥協なしで私は今回でこの夢見を終わります。

 

一人で旅に行けることもできました。

私はこの機会を逃したら何かを先延ばしするかもって思いました。

だから旅に出て見ました。

何かを得ようとかじゃなくて。

もう一個、決めたことがあります。

進学はしません。

高校を出てないと就職とかできないとか将来がないとか、

今まで大人のエゴを信じてきました。

だけどエゴも自我も全て幻影でしかないし、

この世界で私は選ぶ権利も決める権利もないんです。

本当に自分の望みがはっきりわかったからです。

私はそっちへ進むだけです。

 

旅でたくさんのことを教わり、その教わったことをみんなと共有できたこと

本当にありがとうございました。

本当に絵のない絵本に絵を入れるのは自分なんですね。

 

絵本の最後

  • 2017.09.17 Sunday
  • 15:42

✨✨✨Luna✨✨✨

 

【質問】

なんで現実を放棄するの?

 

【回答】

全ての観念の源は「私」と認識しているものから始まる。

今まで姿や形があるものに名前を与えて、そこに重要性や意味を与えてきた。

しかも、そこに観念まで持ち込んで保持し続けることをしてきた。

その観念を引き起こす心そのものを取り除くと、もうその観念はなんの意味もなくなる。

こんなことを聞くと「どのようにするの」と疑問を持って「どうやってそれをやるのって」って聞きたくなるでしょう(笑)

もうこの時点で現実の放棄どころか現実の保持になってるんだよ。

目に見えるもの全て、聞こえるもの全て、感じるもの全て対象なんだ。

対象を全て放棄するとき、「私は」全てを放棄しているという位置に行ける。

だけど、これはまだ終わってない。

主体と対象というのがあるんだ。

いつまでも主体だと勘違いしている「自分」を全て放棄したとき、

質問の意味も消えるよ。

お前の恐れている放棄とはなんだ?

放棄することで失うものでもあるのかな?

もし失うものでもあるのなら姿形に目を奪われてるだけかもな。

もしそうであるのなら、それを恐れて現実にしがみついてるのは誰かを見出すといいよ。

 

私は最初に「なんで現実を放棄するの」っていう質問をしました。

今ならはっきりわかります。

自分の頭の中のことが全て狂ってるどころか正論のようにはっきり聞こえていたからです。

一日でも長く不足や分離した世界を維持していたいって言う望みそのものだと思いました。

現実世界を放棄すると虚しいって思ったけど、そもそも恐れを源として分離した意識の一部と同化して見てる現実は2つの不幸なのかもって思った。

「願い事が叶わない不幸」「願い事が叶う不幸」なのかもって。

どちらも分離や恐れがあります。いつまでたっても満たされない不足維持って感じがしました。苦しみに飽きるって現実での苦しみよりも「快楽」と呼ばれる一時的に感じて消えゆく喜びや楽しさを追い求める事が飽きたとき苦しみも一緒に飽きてるのかもって思いました。

現実を良くしたいって言う希望や期待がある限り不足や分離維持の言い訳や正論が続いて先延ばしになるだけだとわかりました。

全てが自分が狂っていただけとわかりました。

目の前のことを見て、目の前のことを解釈したりしてしまうのは、

正論な判断をしているように感じるけど、本当は正論じゃないってわかったんです。

例えば、雨が降ってるときに目の前のことを見て「雨が降ってるな」って解釈するけど、

「雨が降ってるな」って言葉であって、目の前に意味を与えてるだけで、

現実を引きとめようってしてるだけでした。

自分の解釈によって苦しみを生み出していること、原因を外に求めていたこと、

不足や分離を維持するための言い訳を解釈を通して先延ばししていたこと。

本当に狂っていたのは自分自身で、狂っていたってわかったときに自分が認識してること、

聞こえていること、感じること、思い浮かぶこと、全てが狂っていました。

「時間なんて存在しないのに時間を感じてしまう」

「肉体も存在していないのに肉体に意識や認識が向く」

「現実世界は存在もしていないのに現実世界を解釈してしまったり」

全ては分離維持、不足維持、現実を引きとめるだけで、

しかもそれは正論のように聞こえるくらい中毒状態だったんです。

本当に自分が狂ってるということすら気がつかないくらい中毒でした。

自分が狂ってるわかったときに「正しい」ことなんてないってわかりました。

何かに対して反論とか何かを感じたりするのは自分が狂ってるだけなんですね。

本当に「無」そのものであって、恐れや不安なんて体験のしようがないんです。

だけど自分が狂ってることすらわからないくらい中毒状態になっているから、

恐れや不安が正論のように感じたり、思い浮かぶことや目の前のことを見て解釈したことが正しく見えるだけなんです。

もっと言うと現実世界で雨が降っていたら「雨が降ってるな」って解釈するのは正論かもしれないけど、現実世界は存在もないのに、どうして「雨が降ってるな」って解釈できるのか。

名前や姿形に囚われて、そのリアルさが現実世界に存在を与えてしまい恐れを生み出していたこと。

さらに姿形に執着して、執着してることすら忘れ形に目を奪われて分離や不足の言い訳になって真実を隠蔽する道具になっていたこと。

そして「無」を恐れるものと見なして架空の捏造をしていたこと。

「無」は恐れはないのに、全てが「無」を恐れてるから先延ばしの言い訳がさらに正論のようになっていたこと。

「無」に触れることを恐れて現実世界という外側に意識を向けることを選んでいたこと。

何かが「無」に触れたとき、それは「無」になっていくことがわかりました。

「無」になっていく事を一番の恐れと見なして、言い訳を十何年もし続けてきたのは私自身でした。

全ては狂ってるのに狂ってないって主張するために必死になっていたってわかりました。

現実世界の放棄ってまず自分自身が狂ってるって認めることがスタートなのかもって思いました。

本当に旅に行くって決めて行ってよかったです。

もし旅に行くって思ったときに頭の中の事が正論のように聞こえすぎて旅に行かなかったら先延ばししてたかもしれない。

本当に過去や未来や妄想、解釈など全ては自分が狂ってるだけでした。

今まで全て狂ってる状態で人と接したり話をしていました。

どうして人に話を聞いて解釈する必要があるのかなって不思議に思える。

自分の解釈や判断なんて本当に狂ってました。

存在がない世界に存在を見て、そこで判断や解釈をしていたんですから(笑)

すごい技ですよね(笑)

しかも、それを正論だと思えるくらいまでリアルを見ていたんです(笑)

大事なこと

  • 2017.09.16 Saturday
  • 17:34

✨Luna✨

 

【唯一、徹底的に抵抗するもの】

 

自分の思考や感情の習慣に徹底的に抵抗する。
目の前の現実に内側から湧く妄想や想念をくっ付けて何の意味もない映像に解釈を与えているってことがわかる。

さらに現実にうつつをぬかしていることがわかる。

多くの方は運命があるものだと思ってる。

運命とは自分が個人だと思ってる信念からの発想なのだ。

その発想は所詮は自我の妄想にすぎない。

そんな妄想や思考や感情、外側の他人が誘惑する言葉に対する解釈など全てに

自分自身に言い続ける唯一のことは
「いいや、違う。それはありえない。私はこんなものではない。それは私に
必要ない。私はそれを欲しくない」と。

その時、自分が創り出した夢の中に巻き込まれて自我とともに解釈していた外の世界が崩壊し、

外側に原因を見ることがなくなる。

その時、歴史は動くのだ。外側には世界なんてなかったのだと。

最初から歴史なんてなかったのだと。
徹底した真剣さが真実を見続けるのだ。

それがやがて実相世界へ導くのだ。

 

尾崎豊さんの15の夜っていう歌を聞いていたら、

この言葉の凄さがわかりました。

自由を求めた15歳の夜に

覚えたてのタバコをふかしてバイクで走り出す。

私は実相世界が完全に現れたわけじゃないけど、

自分が創り出した夢の中の世界に巻き込まれなくなってきました。

本当に外側に原因は見なくなってきました。

実相世界へ、真の自由へ

覚えたての心極道をふかしながら

徹底した真剣さがってところが、本当に凄いと思えた。

こんな小娘に話をしてくれました(笑)

 

これで私の旅も終わりかな。

来週には東京へですね。

 

繰り返されるゲーム

  • 2017.09.14 Thursday
  • 22:17

✨Luna✨

 

【繰り返されるゲームに終止符を打つ】

 

ぼくはこの世界の選択は2つしかないと思っている。

1つ目は幻想の中で幸せになりたいと物乞いをするのか、

2つ目はこの幻想世界を放棄してしまうかだけなんだ。

ぼくはみんなに最初は「やりたいことだけをやればいい」って言うんだ。

「望みを叶えな」なんて言わないんだ。

ぼくは「望みなんてここにないんだ」心底気がついたんだ。

願いが叶ったところでどうなんだろうって思ったらなんの意味もないってわかったんだ。

実際に旅行も行く前は楽しさを見るけど、実際に行くと「あれ、こんなんだった」ってあっけなく感じることがあると思う。

全て条件付けで見ていた願いであって儚いって心底わかったんだ。

願いが叶った人生が70歳とか80歳とか90歳で終わるだけなんだ。

だけどわからないと肉体が消えるときにまた繰り返し人間ゲームをするんだ。

真実に向かっていくと現実に興味が消えて行くんだ。

そして本当の自分の望みはなんのかがわかる。

この2つの二者択一は現実という幻想にリアルを与え続けるのか、現実を放棄するかってだけなんだ。

明日、明後日、何日後にこの決断を決めるなんてやってると輪廻転生が繰り返されるのと同じなんだ。

明日も継続して分離を選んでるのも輪廻転生なんだ。

生まれ変わるか、生まれ変わらないのか2つに1つなんだ。

この世界は自我の投影を見ているだけであってなんの違いもないんだ。

嫌な奴もいる、良い奴もいるように見えるけど全て同じなんだ。

大小を見たり違いを見るているようだけ、そんなことはないんだ。

所詮は自我がどんなに分離を見せていても本当の自分にはなんの影響もないってわかったんだ。

自我はこの幻影をコントロール、支配、神に成り代わりたいって言う願望を持っているけど心底、自分の無力さを知るとこの世界では何も起きてもいなかったし本当の自分にはなんの影響を与えることができなかった儚い夢だったんだ。

いつまでも自分を自我の分離した幻影の中に閉じ込めて分離の想念に囚われて多種多様な幻想世界に入っているだけなんだ。

この世界を放棄するとハワイに旅行するのも自分の部屋の中にいるのも同じなんだ。

わざわざ分離の視点になることもない。いや肉眼で見るってそれをそうだと認識することがないのだ。

無意識のうちに出てくる言葉や思考は自分自身にとっていかにも正論を言っているかのように思っているから多くの人は決断するというスタートラインすら立てずに終わって繰り返しまたゲームをやるんだ。

 

自我は外に世界に意識を向けて外を見るけど、

外に世界に100パーセント意識を向けて過ごしてきました。

本当に全ての意識が外を向いていました。

そこには例外なく内側にはちょっとも意識を向けたことがありませんでした。

だけど今までは「例外なく」全ての意識は外を向いていました。

しかも何の苦労も努力もしませんでした。

それと同じくらい何の努力も苦労もなく全意識を内側に向けるって感じがしました。

現実の放棄って、もう外側には例外なく意識が向かなくなることだと思いました。

 

この世界で一番簡単なことは

現実の放棄だと言われました。

それはまばたきをする以上に簡単なことだそうです。

今まで自我と一体化して外を向いていた。

自我と一体化するのもまばたきをする以上に簡単に、しかも当たり前になりすぎてどうかしてることすら気がつかないくらい簡単にしていた。

これと同じで現実の放棄も簡単だよ。

例外さえ持ち込まなければって忠告されましたけど。

 

私は本当の愛と光に溢れていることを経験しました。

その経験を通して今までの私ではなくなりました。

まだ迷いや現実にリアルを見てしまったりしてしまいます。

それでも愛と光に溢れている、しかもそれが本性だということもわかってる。

迷いや現実にリアルを与えるようなことが終わるまで見続けます。

見るものと見られるものが消えていくことが現実の放棄になっていくような気がしました。

現実の放棄によって、そこには愛と光による行為だけになると思います。

その頃には自我と同化して外を見ることはない。

もう私は自我と同化して現実を見ることはしません。

今までの例外なく内側には一切目を向けないで外を見ることをしました。

外の世界は例外なく全て放棄します。

 

 

動機

  • 2017.09.13 Wednesday
  • 22:13

目的と動機が問われるってテーマで描いてもらいました。

自分が自我を選んで自我で物事を見続けるのか、自我を選択することをやめるのか決断の主体は自分にあるって感じがする絵だと思いました。

 

 

✨Luna✨

 

 

【真の目的と動機が問われる】

 

真の自由って言う目的と動機を見失わないようにしないと、

自我と同化して、

自我をありのままに見つめることも、認めることも、

謙虚さも誠実さもなくなり、傲慢になり、

現実の鏡の中へ入っていくことになる。

本当の自分と調和して現実を見ようとしてるのは誰かと見出すと、

その誰かさんは真の自由への目的と動機を見失ってると言ってもいいかもしれない。

現実を見るということは自我と同化しているからだよ。

本当の自分とは感じることもなく感覚もなくなるものだよ。

その感覚すら本当の自分によって消し去られるからね。

真の自由への目的や動機を見失わない限り本当の自分が外へ向いた全ての自我意識を消し去ってくれる。

もし自我意識を自分で消し去ろうとしてるときは真の自由ではなく、自我との同化だな。

自我と本当の自分どちらかを選ぶ選択の余地があると思っているところが平安への障壁なんだよ。

外側は全て本当の自分と自我との関係を投射してるだけなんだ。

目の前にいる人、ゴキブリも全て自分自身なんだ。

だけど外側に対して行ってきた解釈は全て自分じゃなかったんだ。

例外なく外側に向いた全意識を内側に招き入れることによって平安は内側にとどまるんだ。

もし外側に何か小さな名残や未練があるのなら内側にとどまる平安は内側にとどまっていられない。

自我は分離と不足維持だから、どんなに小さな名残や未練に餌にしてしまうのだ。

だけど現実の放棄は一点集中なんだ。

平安になるわけじゃないんだ。本当の自分の位置から外側を見てしまうからだ。

まるで内面で戦争を見ているかのようになるかもしれない。

それだけ外側に同一化して平安に抵抗してきたことが見えるからね。

本当の自分に泣きついて泣きついて泣きつくだけなんだよ。

自分なんて無力で何も出来ないんだからな(笑)

真実との対話

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 22:23

✨Luna ✨

 

 

【真実は何も主張しない】

 

「これが真実だ」「あれが真実だ」という考えは

全て始まりと終わりがある。

現れては消えゆく有限のものなんだ。

そんな有限という限りがあるものの中には真実はない。

もしこの有限の中で探求をしているのなら全て無駄になるだけなんだ。

真実が現れる前に、

現れては消えゆくものに心奪われている間は真実は現れることはない。

現実というのは鏡のようなものなんだ。

内面を全て映し出しているだけなんだ。

怒ってる顔をしていれば怒ってる顔が映る。

今まで怒っていた顔が映っていたのに突然、笑顔になってみたら笑顔の顔が映る。

当たり前のことなんだけど、鏡の中に映る映像が変わることを奇跡とかって言っているだけなんだ。

世に中にたくさんある成功法則と呼ばれるのは、鏡の中に映る映像を変えて喜ぼうって感じのものが多い。

もし鏡の中に映る映像が変わって喜んでいることや悲しんでいることも所詮は鏡に映った幻影でしかないってことを忘れてしまうといつの日か鏡に魅了されてしまうだけなんだ。

もっと言えばこの現実という世界は全て条件付けで成り立っているんだ。

条件付けに魅了されるのは自我なんだ。条件付けの幸せを求め依存する幸せを求める。

何かに条件付けや依存する幸せは幸せでもないんだよ。

本当に初心を忘れてしまうと鏡に魅了されて頭で知り得た知識へと下げてしまい、

あたかも自分の所有物にして、自我を満足させ、他者よりも優れてるという比較の道具にしてしまう。

真剣に、真剣に、真剣に初心でいることとは、

自我をありのままに見つめ、認めることで、謙虚さや誠実さを生み、現実という鏡に魅了されることなく自我と同化しない正しい気づきになり現実の放棄になっていく。

真の自由とは束縛があるんだ。正しい気がつきというね。

もし現実の放棄に対して躊躇いや疑問が出るのなら、それは鏡に魅了されているか、現実に対してリアルがあると思っている誰かが主張していることなのだ。

現れては消えゆくだけのものの中の自分が姿形が消えることを恐れているだけのことなんだ。

そもそも自我が見る姿形はありもしないものに名前や形を与えているだけなんだ。

この世界に依存しない。現れては消えることに影響されない。

何であれ自我によって考え出されるものは全て幻影でしかないのだ。

 

かなり前に現実は頭の中のことを見てるってわかったときに本当に自分で勝手に解釈してるだけだって気がつきました。

だけど今も現実に自分がいて他人がいるって感じます。

この話を聞いていたら本当に全てを捨てることなんだってわかりました。

「やりたいと思ってること」

「好きだと思ってること」

「大切な人、大事にしてるもの」

「愛や恋」そして「自分そのもの」です。

本当に無執着状態で偽りを偽りとして見る真っ直ぐな姿勢。

それが真剣さに加え謙虚さ誠実さになって、

無意識に沈んでいた偽りが意識に上がってきて解放へと導かれ

真実が現れて来るんだと思いました。

 

今行ってる学校の全校生徒の前でこんな話をしても、

ほとんどの人は明日のことや、この後の用事とか先の考えを大事にすると思う。

自分も世界も存在していないってことを認め受け入れるってこと。

ここまで来ると本当にわずかな人しかついていくことができないと思った。

経験を通して、たくさんの本当にたくさんの自分の無力さを見てきたことや、

絶望、失望、悲しみ、苦しみという辛い経験を通して、

苦しみに飽きたときに決断できることなのかなって思った。

こだわりや考えて言うのは苦しみに飽きてないからいつまでも持っていることで、

自分の主張や意見を持って大人は言うけど、そのプライドというものは苦しみの元で、

苦しみしか生まないものなんだって気がつきました。

私は大人の教えは苦しみが根底にあるっていうことがわかりました。

もう私は後戻りしません。

誰がなんて言おうが関係がありません。

すでに全て放棄しています。

 

 

 

真相への対話

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 20:00

✨Luna✨

 

話を聞いているうちに質問とかしていました。

そして質問を通して深まっていく感じがしました。

 

【質問】

普段の生活の中で現実の放棄はどのようになっていくの?

 

回答

日常とは欲望と恐れの間を行ったり来たりしているだけのことだ。

それを生活と言っているだけのことで、生活なんてないんだよ。

なんらかの不足を補うというのが前提にあるから、

常に不足を見ては補うことを繰り返しをしてる。

しかも不足は根底には恐れがあるから、

それを見ないように追いやるように生活をしてる。

多くの人は、そんなことをしてるとも気がつかないで長い間を過ごしていく。

だけど、本当に気がつきであるのなら、

自分が実態も無いものに名前や姿形を与え認識をしていることに気がつく。

あらゆる行為と思われているものは利己的であって、

分離や不足から生じてる。

その利己的な動機が消え去るまで見届けることなんだ。

真実とは探すことをやめることなんだよ。

真実から見出して来るものなんだよ。

一般的には真実は探すものだって解釈されてるかもしれないけど、

この現実には真実なんてないんだよ。

どこを探しても真実に辿り着くことはないだろうね。

最後のところは何を言ってるのかわからないかもしれない。

いつか、そういうことだったのねってわかる日が来るよ。

そのときに心極道って名前にした真の意味が顔を出すよ。

 

 

 

現実はどんな認識になってもいい。

現実でどんなことが起きてもいい。

私は自我と同一化して絶対に現実に振り向かない。

この前、15歳の誕生日を迎えました。

だけどそんなことも意味がない。

今ここで何が起きてもいい

現実は自我が見てるだけであって、

本当の自分は分離した光景なんて見ていないってことがわかったんです。

私はこれで最後にするって決めました。

もう自我と一緒になって現実を見ることはない。

自分探しなんて終わりにします。

そしてこの世界に与えて来たリアルを全て放棄します。

本当に今回で最後にします。

 

 

それしかないのかも

  • 2017.09.11 Monday
  • 20:07

✨✨Luna✨✨

 

 

【世界なんて存在していない】

 

自我は失うことを恐れて真実を隠し通そうとする。

もし真実だけを受け入れることをすると自我は急な解雇通知を突きつけられるようなものだ。

だけど苦しみに飽きるってことは現実世界に対しても飽きているってことなんだ。

現実世界に意味付け条件付けをしていたことにとことん飽きてるんだ。

自我は過去のことを記憶して現実に見えることを信じて不足、苦しみの維持をしているだけなんだ。

現実という幻影をリアルに見せつけてジャッジして、その中で自分を見出そうと必死になっていただけなんだ。

ただ自分の視覚が自我の肉眼を通して分離し変化する光景しか捉えることが出来なかったけど、不変しか見れない視覚に変わるんだ。

もはや肉眼から見える他人はもう存在しないのだ。

肉体のように見える他人がどんな性格や嫌味なことを言っていたりしても、そこには感謝しかないんだ。

しかも現実で辛いようなことが起きても感謝しかないんだ。

ありがとうってすら思えるんだ。

もう他人に対する、状況に対するぼくの採用して来た意味づけ条件付けを全て何もかも放棄できるんだ。

許したら相手に負ける。損するなんていう考えなんていらないんだ。

自分はこの世界で一番無力で無能で使い物にならないんだ。

何もかも降参しかないんだ。これしか選択肢がなかったんだ。

相手が誰なのか、自分は誰なのか、

本当に世界なんて放棄するどころか世界なんてなかったんだ。

ぼくだと思っていたぼくもいなかったんだ。

何一つ変わってもいない。何一つとして変えてもないんだ。

変えることもなかったんだ。

本当に何もしなくて良かったんだ。

何もする必要もない。

不変なんだ。完璧なんだということがわかったんだ。

自分がわざわざ自我と一緒になってありもしない世界を見ては障壁を作って、

本当の自分そのものがぼくだったということを隠し通して来ただけなんだ。

どうして何もする必要もなく完璧な存在そのものだったのに、

どうしてそこにいながら自我を選んでは苦しみを選び、条件付けをして障壁を作ってきたのかおかしくなったんだ。

最初から放棄する世界なんてないんだ。

世界なんて存在も実態もないという簡単なことに気がついたんだ。

 

私はまだ自我を通して現実を見てしまう所もあります。

学校に行かないで今は旅をしています。

だけどこの世界は幻想でしかないのに学校のことを考えて

旅から戻ったらどうなるのかとか考えてしまいます。

考えてしまうのは自分ではないってわかるけど、そこに現実を感じている所もあります。

なんの意味も真実もない映像だってわかってるんですけど(笑)

 

で、この話を深く聴いていくと、

現実を全て放棄すると「孤独になる」って思いました。

一人ぼっちという不安と怖さ、そして孤独感と絶望感って感じです。

そして色々な思いが浮かび上がってきて、質問しました。

「質問するということは現実に対してリアルがあるからなんだ」と言われました。

でも正直、そんな答えを言われてもわからなかった。

「放棄したらどうなるのだろうかという疑問は何の意味もない」って言われました。

そのときに気がつくことができました。

そんな疑問を持って信じてる間は放棄することを先延ばしして言い訳を並べてるだけでした。

頭で理解してることと、本当にそう思えることは違うって思いました。

自分探しをしてる間は全てを先延ばししてるだけだと思いました。

現実に放棄とは本当の自分と距離がなくなって一心同体になるんだと思いました。

もう現実はない本当に自分そのものだ。

それしかないんだって感じだと思いました。

絵の無い絵本

  • 2017.09.10 Sunday
  • 12:14

🌟🌟🌟Luna 🌟🌟🌟

 

 

【何もする必要などない】

 

小さい頃クリスマスになると「何が欲しい」って言われて、あれこれが欲しいって言っていたんだ。

そしてプレゼントを買ってくれて喜んでいたんだ。

だけど、ある時から「サンタさんはいない、もっと現実的なものを選びなさい」とかプレゼントを買ってもらえなくなったんだ。

ここでAとBの二人の子について話をしよう。

ぼくと同じ経験をしたA君とB君はある時を境にプレゼントをもらえなくなったんだ。

そこに変わり者の人が現れたんだ。

二人に向かって「君達はプレゼントを与えられてるよ」って言われたんだ。

二人ともここではわからなかったんだ。

「あれが欲しいって言う欲しくなるような状況が続いてるよ」って言われたとき、

A君はそうかもしれないって思ったんだ。だけどB君はそんなわけがないって思ったんだ。

そして二人の前で「プレゼントを欲しがることをやめたらサンタさんがこの子にどんなプレゼントを与えてあげようかわからなくなるから困り果てて、その子の後ろにくっ付くしかなくなるんだ。それでもプレゼントを欲しがる気配がないと常に最善のものを与えるしかなくなるんだ」

A君はある決断をしたんだ。だけどB君はやっぱりプレゼントを欲しがる道を選んだんだ。

B君が家に帰った後にA君が「嬉しさも幸せも楽しさも喜びも欲しがることをやめてごらん」って言われたんだ。

そしたらA君は「この世界ごと欲しがることをやめる」って言い出したんだ。

 

何が充実した人生なのかは物質的な世界で満たされることが幸せや豊かだと思っていたんだ。

だけど、ぼくはこの見方は単なる「もの乞い」だと気がついたんだ。

これはサンタさんを困らせるどころかクリスマス以外の日も欠かさずにプレゼントを欲しがってるもの乞いだとね。

本当の実在を選ぶということは、

全ての物質的な世界の考え方や感じ方を放棄し自由になるところから始まりなんだってわかったんだ。

男女といった観念、人間であるっていう観念、そしてそれに付随する全ての観念さえ放棄する。

そして全ての自我との同一視を放棄して、

自分自身を顧みて考えることを放棄して

あらゆる考えを放棄して

物質的、外部知識など

自分の幸福について心配すること

そして全ての欲望を放棄して

そして成果を出すことや達成知るべきことなどないってこと知り

今ここで完璧。

今ここで完璧だとわからないのは世界があるからなんだ。

この世界に意味や真実

そして何も必要ないってことを知ったんだ。

 

話を聞きながら書いて編集したんですけど、

私も物乞いをして来ました(涙)

色々なものを欲しがったり、可愛くなりたいって思ったり

無いものねだりばかりでした。

この話を聞いてると話をしてくれてる人は絵を描くのが本当に上手なんです。

そして世界を放棄したところから絵を描いてるんです。

私もこの絵本の絵を見ます。

今は完全に世界を放棄できて無いかもしれないけど、

本当の私から見れば、現実であれこれ理由をつけていってることは全部、言い訳なんです。

分離、不足維持のための言い訳なんです。

自我と同化して世界を見ることをやってきました。

それと同じくらい簡単に現実を放棄するのも簡単だって言われました。

私はこの世界を放棄しました!

全てを放棄しました!

やりたかったこと

  • 2017.09.09 Saturday
  • 23:15

 

☆☆☆和葉☆☆☆

 

いつもみんな同じソックスを履いてるから、

 

ルーズソックス履いて学校に行ったら友達も履いて来たからプリクラを撮りました。

 

楽しいです。

 

お母さんが高校生のときはみんなルーズソックスだったみたいです。

 

いつも一緒にいる友達とルーズソックス履けましたよ。

 

 

 

 

selected entries

archives

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM